【生活】うつ病・双極性障害との付き合い方

双極性障害 【生活】お役立ち

はじめに

このストレスの多い時代、精神的ストレスは大きくなっています。学生なら学校、成人なら会社や家庭などプレッシャーのかかる環境はどこにでもあります。時にストレスに押しつぶされ、心を病むこともあります。

今回は双極性障害である筆者が実際に経験してきたことをお伝えします。障害の告白は勇気のいることなのでどうしようか悩みましたが、この記事が同じ境遇の方たちの少しでも助けになればと思い書くことにしました。

挿絵や吹き出しなので読みづらいと思いますが、よかったら最後までお付き合いください。

結論

まずは結論です。

うつ病・双極性障害などの精神疾患は完治はしないと思います。これは考え方にもよりますが、「完治」という言葉が以前と全く同じ状態に戻るという意味なのであれば不可能です。
一度傷ついた脳の損傷は消えることはないでしょう。また、気持ちの面でも「いつか再発するのでは」という不安を拭うことはできません。

でも大丈夫。

「寛解」はできます
寛解とは「症状が治まっておだやかである」状態です。
普通に生活する上で不便はありません。もちろん再発の危険はありますが、投薬や生活習慣などに気を付ければ再発の可能性を低くすることができます。

今苦しんでいる人は焦らないでください。
必ず良くなります。
寛解はできます。

今は希望が持てないと思います。
でも大丈夫。
必ず明るい世界に戻ることができます。

生き抜きましょう。

経過

これから、私の障害遍歴をお話ししたいと思います。もしかすると時期や期間が不確かかもしれません。正直なところ、記憶が曖昧なところがあるのでその辺りはご理解ください。

2002年

私は2002年に大学を卒業し、学生時代にアルバイトをしていた学習塾に新卒で就職しました。
大学で教員免許を取り元々は教員希望だったのですが、アルバイト中に良い関係ができたので同じ教育業である学習塾で働くことを決めました。

最初の2~3年は目の前の仕事に追われバタバタと年月が過ぎていきました。
その後ある程度の昇進などで立場が変わると責任の大きな仕事が増え、また慌ただしく仕事に没頭しました。

この頃の所属校舎は生徒数も多く、校舎運営は大変でした。
学校別の試験対策などがあり、土日出勤は当たり前でした。
長い時で2~3週間休みなしなどの時期もありました。

でも若さで乗り切っていたという感じです。確実に無理がかかっていました。

2007年

この年に、本部のシステム担当者が退職することになり、パソコンに詳しかった私がシステムを扱うことになりました。
でも校舎運営はそのまま継続でした。
そのため、朝9時に本部に出勤し、昼過ぎまでシステムを扱いました。
その後校舎に移動して校舎事務の処理や授業などで24時近くまで勤務することが多々ありました。

かなり身体の負担は感じていましたが、責任の重い仕事を与えられた高揚感で今まで以上に頑張る日々が続きました。

2009年

2009年の夏。
休日を使って少し遠くに住んでいる友人に会いに行った帰り、運転中に突然動悸がして苦しくなり慌ててコンビニに入り落ち着くまで休むことにしました。
原因は特に思いつかず、少ししたら落ち着いてきたのでまた運転を始めました。
しかし今度は物凄い寒気に襲われパニック状態になりました。

とても暑い日でしたが、暖房をフルで入れないと寒くて耐えられませんでした。
なんとか運転できそうなので帰ろうとしましたが、汗だくなのに寒かったことをはっきりと覚えています。

帰宅はしましたがその後の記憶はほとんどありません。数日は仕事を休みました。

私の異常を見た妻の勧めで心療内科を受診しました。
その時の診断は「適応障害」でした。
忙しすぎるから少しセーブするように指示されました。

しかし、そう簡単には仕事は減らないので、処方された安定剤(セニラン)を飲みながら勤務を続けました。

2010年

2010年3月、とうとう限界がきます。
きっかけは些細な事です。
ショッピングセンターに家族で行ったとき、私は本屋にいました。
妻から電話がきたことに気づかず、しばらくたって合流したとき妻から強めの口調で「電話したのにどこにいたの!?」と言われました。

これだけです。
この時張りつめていた糸がプツンと切れました。
私は普段ないほどの怒りを覚え大声で怒鳴りました。

家に帰ったと思いますがそれ以降の記憶がありません。
その後、鬱状態になりました。

しばらくして心療内科に行き、「うつ病」の診断がでました。

2011年

2011年の7月まで鬱状態が続きました。
何もできません。
布団から出られず、いつ寝たか起きたかもわかりませんが、起きた時は自分を責めて泣くという日が続きます。
希死念慮もありました。
生きてる価値はなく、この世から消えたくなります。
これは不思議な感覚なのですが、私は「死にたい」ではなく、「消えたい」と感じていました。
この世から消えてなくなりたいのです。
この違いは自分でもよく分かりませんが、少なくとも自殺する気力すらないのでそう感じたのかもしれません。

2010年からの1年3カ月の間で投薬のおかげか、少しずつ起きられる日が出てきました。
7月ごろには自分の中ではすっかり回復し、働けそうな気がしてきたので復職しました。

この時は抗うつ薬のせいでかなり気分が上がっている状態でした。
今考えるとパキシル(SSRI)という薬の効果で完全に躁状態でした。
なんでもできる気がしました。
妻の制止も聞かず、ほぼ元と同じ働き方をしました。

2012年

2012年1月、鬱が再発します。
この時は、気分が上がった反動で、最初よりも大きく落ちました。
ここから3年以上闘病生活は始まります。
この期間、効き目が出るまで何種類もの抗うつ薬を飲みました。
抗うつ薬が効くと明らかに元気になりますがある程度するとまた鬱状態に戻ります。
元気な時は色々なことをしたくなり、今までやらなかったことをしました。

例えば一人カラオケ。
外出も苦ではありませんが、人と会うのは怖いのでフリータイムでカラオケに籠って1日過ごしたりしてました。

動けなくなると布団から出られない日々に戻ります。
これの繰り返しなのでかなり疲弊したことを覚えています。

でもこの時一番つらかったのは、世界中に自分の理解者は一人もいないと思っていたことです。
家族ですら信じられず、孤独で本当に消えたかったです。

2015年

3年の間に色々ありましたが何とか回復し、2015年の4月から携帯の販売員で働くことになりました。
元気なので実績もよく、販売台数で関東10位以内に入ることもありました。
でもこの時も明らかに働きすぎでした。
家電量販店で働いたのですが、その時は窓口が自分1人しかおらず、自分のいない日は窓口を閉めていました。そのため、週6で働くこともありました。

半年ほどするとだんだんと鬱が出始め、退職することになりました。
大きく落ち込み、自分が情けなくて自分を責める日が続きます。

ある日、色々調べてくれていた妻が、うつ病ではなく「双極性障害」に症状が似ていることに気が付きます。
その後、通院時に医師に確認すると診断が「双極性障害」に変わりました。

ちょっと待てと。
こちらが言ったから診断名が変わった?
所詮健常者の医師です。
目に見えるものではないので、判断がつかなかったようです。
言わなければ今もうつ病の薬を出されて苦しんでいたかもしれないと思うとぞっとします。

とにかく、この時から薬が変わりました。
しばらくすると、今までが嘘のように症状が改善しました。
気分の波も穏やかになり、日常生活に不便を感じなくなりました。

2017年

ほぼ改善したので就職活動を始め、2017年4月から私立高校で働くことが決まりました。
ただこの時は、障害を隠して通常の雇用で働きました。
通院と投薬は続きましたがほとんど障害なく働くことができたので問題ありませんでした。
多忙な時期や季節の変わり目、天気の悪い日などは少し憂鬱な気分は出ましたがなんとか勤務することができました。

2020年

3年すると、少し憂鬱な気分が出るようになりました。
再発は怖かったので、障害者雇用で転職することにしました。
2020年の5月から自社内SEとして障害者雇用が決まりました。

現在

障害者雇用なので勤務についてはかなり配慮してもらっています。
連勤になる時は在宅勤務をさせてもらっています。
障害を隠して働くのは辛かったので、今はとても気が楽です。
SEとしては決して高い給与ではありませんが、安定して収入があるので安心して生活できます。

通院と投薬(エビリファイ(アリピプラゾール)とラミクタール(ラモトリギン)メイン)は続いていますが日常生活には全く不便がありません。
投資を始めたりブログを始めたり、色々なことに挑戦しています。

でも無理はしていません。
少しでも怪しいと感じたら早めに身体を休めるようにしています。
世間的にも有休がとりやすくなったので有難く恩恵を受けています。

国のサポート制度

現在は治療のために国も色々と制度を作ってくれています。

私が利用しているのは「障害者手帳」「自立支援」「障害年金」です。
これを説明するのはかなりのボリュームになるため別の記事で紹介します。

【生活】障害者手帳を活用しよう!
精神疾患を抱えている人にとって、何の保証もなく生きていくのは大変です。そんな時は国が保証している制度を使いましょう。今回は障害者福祉保健手帳の取得とその活用方法について解説していきます。

まとめ

精神疾患は目に見えません。
病んだ人間しか本当の苦しみはわかりません。
落ち込んでいる時は本当に孤独を感じています。
でも必死に生きています。

家族をはじめ、周りの人たちもどうしたら良いかわからず苦しんでいると思います。
でも周囲の助けなしに闘病することはできません。
私が過ごしてきた中で家族にしてほしかったのは、

味方でいてほしい

だけです。
落ち込んでいる時はそっとそばにいて「大丈夫、そばにいるよ」と言ってほしい。
理論は通じません
マニュアル通りにはいきません
意見やアドバイスが欲しいわけではありません
ただ、最大の理解者でいて欲しいだけです。
生きていていいんだと感じさせてください。

精神疾患は治りません。
でも繰り返しますが、寛解はします。
生きてさえいれば必ず寛解します。
どれだけ時間がかかっても戻ってこられます。
本人も周囲も本当に辛いと思いますが、耐えるしかありません。
耐え抜けば未来はあります。

精神疾患は誰にでも起こります。
自分は大丈夫と思っている人ほど無理をするので危険です。

精神疾患は「心の風邪」などではありません。
脳に異常が発生する立派な「障害」です。
軽く考えて最悪の事態になる前に手を打ってほしいと願います。

取りとめもなく記事を書いてしまいました。
見苦しい記事になって申し訳ありませんでした。

でも障害を持った自分でも寛解して立派に働いていることを知って頂きたいです。

この記事が誰かの助けになれば嬉しいです。

最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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